展覧会関連トーク「絵を描くこと、それを見せること」
美術ジャーナリストとして長年活躍し、近年では自ら絵画制作にも取り組み、2012年に東京および宮城県石巻市で行われた企画展〈一枚の絵の力〉では、幸田千依が中心になって行った「歩く絵のパレード」にも参加した村田真さん。会期中にゲストとしてお招きし、絵を「描くこと」「見せること」をテーマに幸田とのトークを行いました。その様子をダイジェストでお届けします。
プールの絵、連鎖する絵
村田:幸田さんの作品は、ミヅマ・アクションのグループ展で見たのが最初ですが、水浴びをしているような人々が描かれていた内容と、小さな絵を集めて、大きな絵にしているという形式に興味を持ちました。まず聞きたいのは、何で水浴びなんでしょうか?
幸田:水浴びというか、これは巨大なプールという意識で描いていて、何で水なのか、プールなのか、よく聞かれます。そもそもの始まりは、大学時代にアルバイトでプールの監視員をはじめた経験からきています。その時は、ただ何となく上からプールを見てみたいという気持ちで始めました。実際に高い椅子から見た時に、きれいだし、すごくいい。それは水の美しさもあるけれど、人がほぼ素っ裸になって、男も女も関係なく、ただひたすら往復している様子に見入ってしまう。人が動くと波がたっていって、そのエネルギーのようなものが見えてきます。それを何か形にしたい、描きたいというのが最初だったのですが、そこから人の関係性みたいなものを表現することができるのでは、という意識が芽生えてきたんですね。気付いたら大学くらいから、ずっと同じモチーフを描き続けていました。ミヅマでの作品は、そのなかでは集大成です。
村田:ちなみにタイトルの《代々木・相関図・インターネット》はどういう意味なんでしょう?
幸田:人が集まる場に興味があって描いたものです。代々木公園にビールを飲みにぶらぶらしにいったときに、いろんな人がパフォーマンスをしていて、路上ミュージシャン、お笑い、何かを訴えている人とか、それが公園という仕切りのない同じ空間の中で行われていた。でも、そのひとつひとつの集団はせいぜい2,3人くらいで、私はビールを飲みながらそれをフーンと見てまわって、面白そうだったら立ち止まる。それぞれの人たちは真面目に頑張っているという現実があるのに、100m隣の人の存在を把握していなかったりして、それが目に見えたんですね。近い距離にあるのに関係していない。それが、何となくインターネットにも似ていると思いました。結局何か全体というものを描くときに、1枚の大きな絵で全体を表すこと、例えばシスティナ礼拝堂の絵とかあるじゃないですか。そういうことはもしかしたらできなくて、こういう真面目な現実というものをひとつずつ見て、それが隣り合って次の絵につながっていくということでしか描けないかもしれないと思って。だからこの絵は元々終わりというか、端っこがない絵で、続けようと思えば、つなげて描き続けられる形式です。描くものひとつひとつを意識していたので、多分このタイトルになったんだと思います。
村田:面白いのは、全体をあらかじめ考えて描いたんじゃなくて、ひとつずつ描いていったんでしょ、これ?
幸田:そうです。1枚描いて、隣を描いて。
村田:隣と言っても、下とか、上もあるよね。それで全体として1つの絵になる。
幸田:ある程度の量が出てきた時に、全体を引いてみると何かが見えるかなと思ったんですよね。
村田:今日、何を話そうかなと考えていた時に思い出したのが、諏訪直樹という画家のことです。僕と同じ世代で、1990年に事故で亡くなっちゃった人です。その諏訪さんが、亡くなる数年前から「無限連鎖する絵画」というのを始めたんですね。70年代って絵画が全然流行らなかった時代なんですけど、その頃から彼は日本画や油絵などいろんな絵画の研究を重ねて、最後は「無限連鎖する絵画」に行き着いたんです。キャンバスじゃなくて、パネルに描いていくんですけど、高さは180cmだったかな? それを横にどんどんつなげていくんですよ。1枚ずつ、しりとりするみたいに、連鎖させていく。それで60mくらいになったところで、事故で亡くなっちゃったんだけれども、あれは本当に無限連鎖するように最後まで描き続けるというか、死ぬまで描き続けなければならないみたいな、終わりがない絵なんですね。恐らく彼の中では絵巻とかそういう形式を参考にしたのかなとも思うし、パネルですから、屏風みたいにも見える。そういうのをやっていた人がいて、それを今朝ふと思い出しました。
幸田:原理としては同じかもしれないですね。
村田:特にタブローとか、絵画というのは1枚のなかで終わらせるという考え方ですけど、そういう絵画の形式を打ち破っていくというところも面白いと思います。
幸田:この絵に関して言うと、大きさを変えて3回程展示したんですが、2回目と3回目の間に2年くらいブランクがあって、そしたらもう続きを描けなくなっていました。その間もずっと絵は描いていて、自分の興味がプールということは変わらなかったし、描けるだろうと思っていたのですが、やはり対象を見る視点の距離とか、興味のある対象の微妙なズレというのが描き続ける中で起こっていて、久しぶりに描いてみると、何か技としては描けるんですけど、違和感がありました。だからこれは終わりにしました。よくその人は続けたなぁ、と思います(笑)。
絵を描くということ
村田:絵を描く時に、自分で無限連鎖するとか決めちゃえば、延々と描き続けなきゃいけなくなるし、モチベーションも保ち続けられるという部分がありますよね。そういう意味で、70~80年代みたいな時代と今はすごく違うなとも思います。今は絵を描くことの辛さみたいなこと、あんまり言われないじゃないですか。僕らの世代は「何で描くんだ?」という理由づけから始めなきゃいけなかった。自分も美大に行って絵を描いていたんですけど、結局やめてしまったんですね。何かすごく中途半端な形でやめてしまって、その後30年経って、数年前からまた描き始めました。描きたいという気持ちがあっても、描いていいのか悩んでしまうなんて、今考えれば馬鹿馬鹿しいのだけれども、そういう時代だったなぁと。
幸田:そういう時代があったのは耳にしていましたが、今もう1回描き始めたというのは時代というよりは、個人的なタイミングじゃないですか?
村田:そうです。一言で言っちゃえば、歳を取ったからというか、死のことを考えるようになったからでしょうね。何かこういう話をすると暗くなっちゃいますが(笑)。要するに、50歳に近づいた時に、僕の周りの人がどんどん死ぬんですよ。まず両親、義理の姉、『ぴあ』にいた頃の同僚という感じで一時は毎年のように身近な人が亡くなっていったので、次は僕かなと思うわけです。それで、このまま死んでいいのか、何かやり残したことないかなと思った時に、絵を描くことを中途半端な形で辞めてしまったということを思い出しました。それで今やらずに死んじゃうのかなと思ったら、すごく怖かった。
幸田:私も死ぬのは怖いです。
村田:そうですよね。怖くないという人もたまにいるんですけどね。別に絵を描けば怖くなくなるのかと言えばそうじゃないんですけれども、何か怖さを忘れることができる気がして、それで描き始めたというか。それだけですね。
幸田:でも確かに、絵を描くというか、芸術をつくることと死というのは確実に繋がっていますからね。死ぬというのがあるから、つくるというのがあると思います。
村田:そうですね。だから僕の場合は個人的なモチベーションで始めたわけで、あまり芸術とかは考えていないです。ただ、小さい頃から絵を描くのが好きだった、描いていたら上手いと言われたというそれだけですからね。それで、もう絵しかないのかなという感じでした。幸田さんはどうなんですか?
幸田:私も本当に絵だけ、他は0だった(笑)。
村田:僕もそうですよ(笑)。
幸田:本当にどうしようもない子どもだったので、何かを自分で頑張るとか悔しいとかっていう感覚は少なくとも美術の予備校に行くまで無かったんですよね。大学受験の時期になった時にまわりの友人たちが進路を決めていく中で、そういえば自分は絵が好きだったかもしれないと半ばむりやり思い出して本格的に描き始めました。そうしたら、将来のためとかじゃなくて、その描いている一瞬の圧倒的な面白さと、周りの人と比較したときの悔しさ、巨匠の絵を見た時のすげーという感覚が他に無いものだった。だからそうやってもう一度出会えてよかったなぁと思います。
村田:その、絵を描く喜びとかって何なんだろうね。
幸田:本当ですね。ずっと絵を描きながら考えているんですけど、本当にひとりっきりの作業で、別に仕事でもないし、描きだす時は、こういう絵を描こうとか、こういうことを伝えようとか考えて描きはじめても、描いているうちにそういうのは関係なくなっていく。今この目で見て、手を動かしているという瞬間しか無くなってしまう。それは絵を描いたことがある人なら共感してもらえると思うのですが、もうここしかない! という、その瞬間だけの、他にはない圧倒的な感覚。
村田:それって音楽の人とかはどうなんだろう。似たような感覚なのか、違うのか。
幸田:多分同じだと思います。ものをつくろうとするって強い意志がないとできないから、音楽にしてもすごく集中力が必要だと思います。そのひと時に、みんな病み付きになっているのではないでしょうか。村田さんはそういう感覚、ありますか?
村田:僕はないなぁ、あんまり。何で絵を描くのが面白いのかなぁって考えると、真似する楽しさみたいなのがあるのかなぁと思うんだよね。やはり3次元とか現実世界を2次元上に似たように描いてみる。まぁ具象画ですけれども。その辺が子どもの頃から感じていた楽しさなのかなと。似たような世界をもうひとつつくれたことの喜びみたいな。
幸田:なるほど。単純に風景を描く、とか物をデッサンするとかいうこと自体が相当楽しいですもんね。自然にあるもので美しいことが既にあって、それをもう一度人間の手で美しさをつくり出すということ自体がすごく楽しい。
村田:だから、僕は抽象画ってあまり面白くないんですよ(笑)。結局僕も大学時代抽象画にいったんですけど、やっぱり何かとそっくりに描くというような楽しさは無いんですよね。抽象画を描く喜びというものは、そもそもの絵を描く喜びとは違うものかなと思います。だから今描いているのはいわゆる具象というか、具体的なイメージがあるものです。それは何か原点に戻った感じですね。
幸田:すごくよく分かります。これは、絵を描いている人の特権とかではなくて、突き詰めれば音楽をやっている人だったり、何かに一生懸命になってその一瞬の没頭を経験したことがあるひととは同じような感覚を共有できると思う。その一瞬にクッとなる最高に楽しい感じは、多分みんなある。
村田:そうすると絵じゃなくてもいいという話になる?
幸田:そうですね。でも人ってそれぞれどうしても集中できるもの、できないものってあるじゃないですか。この前、矢内原さんとお話して、やはり根本的に思っていること、伝えようとしていることは共通してくる。でもその表現の方法が個人の性質によって変わってくるんだと感じました。矢内原さんは明るいし、よく喋る方で、人を動かす力があるんですよね。演出家にはそういう能力が必要じゃないですか。私には人を動かすというか、何かを言ってやってもらうとかは無理なんです(笑)。でも自分一人が寝ないでヘロヘロになってもいいからやるっていうのは全然できる。集中できる。
それから同じ表現でも、人に届く速度みたいなものはダンスのほうが圧倒的に早いですよね。でもどちらが偉いとかではなく、絵は極めて遅い速度でしか人に伝わらない、そういう表現だと思う。私がここで、公開制作というパフォーマンスに近いことをしていたとしても100人の人といっぺんに喋れる訳ではないし、でも1人1人の人と向き合って、一瞬でもその人と何かを共有できると信じているからやっています。それは私がもった性質で、それでいいと。ゆっくりだけれども、絵そのものは残るわけだし、時間をかけてたくさんの人に伝わっていく可能性があると思います。
絵を見せること
幸田:美大にいたので、できた絵を見せるというか、講評される、誰かに晒すというのは慣れてきたつもりでしたが、卒業して改めて1人で描いてきて、人に見せるということを考えた時にこれは何でだろうと考えざるを得ませんでした。描く行為自体は自分の中で完結しているはずなのに、何でしまっておけないんだろうと。卒業して、描き続けるのも自由、見せるのも自由、やりたくなかったらやらなくていいのに。
村田:自分から見せたいという欲望はある?
幸田:そうですね。そういうことは分かりました。最初はひたすら描いていたから分からなかったけど、でもやっぱり見せたい、見てほしいって思いました。それも、誰って言うよりも、なるべく多くの人たちに見てほしいって。この気持ちは何なの? と思っています。
村田:それはもしかしたら生きていることの証明なのかもしれないですね。もう一つはやはり経済的なことですよね。意識にあるかないかは別にして、現在は美術全体が経済システムに組み込まれているから、見せるだけでなく、売れればなおさらいい。そういうシステムに入っているから、ますます見せたがる。見てもらって、高く評価されれば経済的に返ってくるからね。
幸田:そうですね。私も卒業したての頃は絵を、売らなきゃなんだろうなあとは思っていたのですが、見せるということそのものに対してはあまり考えることができていませんでした。でも、ギャラリーとか色々な現場でやってきて、誰に見せたいのかということがあやふやになってきていることに気付いたんですね。だって売るためだったら買ってくれる人だけに見てもらえばいいじゃないですか。でもそうじゃない。コレクターに見てもらえさえすればいいわけじゃないんだ、という気持ちが湧いてきた時期に、別府をはじめとしてアートプロジェクトみたいなものに参加する機会が増えていったんです。すると、見せる相手がやはり地元の普通の人たちなんですよね。そんな遠いところに美術関係者とかはあんまり来ないし、その場所や、そこにいる人たちと向き合って創るということになりました。
村田:それで意識が変わった?
幸田:何でこの人たちに見せたいんだろうって、やはり考えましたね。別にその人たちは普段は絵なんか見なかっただろうし、当然買ってくれる訳でもないんだけど、会って喋っていくと、きちんと見ようとしてくれる人もいるんですよ。「ここら辺の色がゴッホに似ているね」とか、何か言おうとしてくれる(笑)。私が真剣に出したものに向かい合おうとしてくれたその人の意志というのが見えたときに、ものすごく嬉しかったんですね。「何か分からんわ。」と言って去ってしまう人を呼び止めて説明してまでして見てもらうものではないですが、人の意識というのは案外頑なに閉ざされているわけではない。美術というものに対して構えがあるんでしょうね。だから知識があったり、知っているから、とかではなくて、私が一瞬に集中して描けたみたいに、その瞬間を集中して見ることができるかどうかだと思うんです。
だから、公開制作を始めんたんですね。若い女子が朝も夜も関係なく、なんか血眼になって絵を描いているという姿を見せているうちに、それを目にする人たちの意識は変わっていきます。最初は訝しまれているんだけど、だんだん頑張っているということだけは伝わっていって、次第に差し入れとかがはじまる。その人は絵自体というよりも絵と私、私を通して絵と向き合うようになっていくんですよね。思いがけない一言をもらって傷つくような経験もあるけど、それは見てくれているということには違い無いし、いろんなところに行って嬉しいこともたくさん経験することができました。
村田:公開制作、みんなが見ながら制作するのってやりにくいでしょ?
幸田:最初は無理だと思っていました。アトリエで描くのが当たり前だと思っていたから、でも今はもう見られている方が進みますよ。緊張感があって、サボっていられないみたいな(笑)。
村田:そうなんだ(笑)。
幸田:パフォーマンスというほどでもないけれど、見せる意識はありますね。今私はここに絵を描く人としているっていう。
村田:だんだん演じてきちゃわない、それ?(笑)
幸田:でもそんなに派手なことはできませんから。ただちょっとスッと背筋が伸びるというか。やりだすと割と普通。
村田:さっきも言ったけど、絵とダンスの違いは、絵は密室で一人で描いたものが出来上がり、自分の手を離れてから他の人とのコミュニケーションが始まる。ダンスは自分が表現している時にコミュニケーションが始まっている。今の話だと、公開制作とかアートプロジェクトといったことよりも、もう少し直接的な人とのコミュニケーションということですよね。
幸田:そうじゃないですかね。多分アートプロジェクトのようなものが増えたのも、私が今思っているのと同じようなことをみんなが思っているからではないでしょうか。美術館みたいなところにしまわれてきたものがあって、それ自体の価値はそこに行かないと分からない。これまでは一生それと出会わない人もいたんだけど、物を創るということ、人と表現を共有するということ自体に価値があり、今後誰にとっても必要であろうと、みんな思いはじめているのではないですかね。
村田:なんかいわゆるアトリエで絵を描いて発表するのとはちょっと違う感覚ですよね。
幸田:絵の描き方にしても、どれが正解とかはないけれども、自分の内側の衝動みたいなものを出さなければ自分が壊れてしまうっていう、ギリギリのところで表現に変える天才がいる。私は、自分の内側から湧き出すみたいなものは無いんですよ。だから、自分を装置として、目から見たもの、経験を自分の中にいちど入れて、表現として出していきます。
村田:それはすごくいいですね。かつての宗教画みたいに、天と地みたいな異なる世界を結ぶ媒介者としての画家というか、それはある意味理想的ですよね。それが本当にうまくいけば。
幸田:自分のやり方として、それが今1番いいなと思ったんですよね。そこで、その地域やら場所やら人やらによって見せ方を考えていきました。描くのは1人だけど、描いたものをどう見せるか。だから近年、いろいろ場所によって変えていて、ちょっと石巻の話をしようかな。
歩く絵のパレード
幸田:村田さんにも参加していただいたのですが、石巻ではじめて行った「歩く絵のパレード」は、その前の年に寿町で思いついたものです。もんもんとドヤにこもって絵を描いて、それを搬出する時に、面倒だったので梱包しないでそのまま運ぼうとしたんですね。そしたら一緒にいた友達とかそれを見ていた周りのおじさんの反応がすごく良かったんです。絵の背景がまちになる感じとかが綺麗だったし、単純ですが絵から足が生えているみたいで面白かった。特に、寿町だと普段から美術館とかへ行くような人が少ないから、絵が自分から見せに行っちゃえ、と足が生えてしまった感じでパレードができると思いました。だから、寿町でも実際にやりました。
村田:じゃあ何度もやってるの?
幸田:はい、寿、台湾、石巻と3回。最初にやったのは台湾ですが、やる場所、一緒にやる人で全然違うものになります。台湾は人の性格だと思うけど、私の絵を3人が持って「歩く絵くん」になってもらって、私はひたすら写真を撮るんです。台湾の人はみんな写真も、遊ぶのも大好きで、「次そこでポーズとってー」とか、私が指示をするとかではなく、楽しそうに絵と戯れたのがすごく嬉しくて。
石巻ですが、東京のNADiffというギャラリーで村田さんも参加した〈一枚の絵の力〉というグループ展があって、震災のあと繋がっていた東北の地でもやることになったものに合わせて行いました。どうせみんな絵を持っていくならパレードもしたらいいんじゃないか、とキュレーションをやっていた伊藤さんと話して、じゃあということで急遽決まったものでした。村田さんの絵は1番大きかったですね。
村田:100cm×100cm以内という決まりだったので、
幸田:そしたら持つのが大変で(笑)。
村田:そうそう、全然考えていなかった。瓦礫を描いた絵だから、これはぜひ石巻に持っていきたいなと思ってたんです。
幸田:抽象画みたいな絵でしたよね。どうでした、パレード?
村田:台湾のパレードの写真を見て、自分の絵を自分が持つのか、人に持ってもらうのかで全然違うでしょ。自分の絵だと大切に、よく見てもらえるように持つ気がするし。人の絵だったらね、遊べたのに(笑)。
幸田:そうですね、それに自分が持っていると見えないじゃないですか。だからつまんない(笑)。台湾の人たち、結構重いのにずっとやっていてすごいなって。でもこのとき思ったのは、やっぱり人に見せることを考えていて、道路とか渡る時も人が通るとそっちを向いたり、車通るとまた逆を向いたり(笑)。でもやはり全体の印象っていうのは周りの人からしか見えなくて、だから台湾の時とは全然違いましたね。でも絵を持って歩くということに対してはどう思いましたか? 絵にとっては良くないことかもしれないですけど。
村田:良くないけど、「タブロー」というのは持ち運びできる「絵」であるわけだから、やっぱり持ち運びしたほうがいいと思うんですよ。そもそも絵画というのは壁画が最初で、それがずっと発展していって、油絵が発明されてタブローになった。そうなると流通が可能になり、美術が商品化されていく。つまり、壁画を描くこととタブローを描くことは、画家にとって全然意味が違うんですよね、考え方が全く違う。だからこういうタブローはどんどん持った方がいいと思う。ただ大変だけどね(笑)。
幸田:印象派の時代には写生も始まるわけですし、絵を外に出すっていうのは割と自然なことだと思います。それに自然光で見る絵っていうのがすごく綺麗なんですよね。ここでライトを当てて見るのもありだけど。
村田:セザンヌとかゴッホとか、南フランスで描いてる人は風が強いからよくバタンて倒れちゃってたりするはずなんだけどなぁ。土とかついてたり(笑)。
幸田:私はこもって描いて、ギャラリーでみせるということが何故かうまく継続できなくて、絵に足が生えたっていうのもそうなんですけど、もっと何か色々な見せ方ができないかなと思っているだけなんです。絵のパレードも見せ方やり方のひとつで、どこででもこうやりたいわけじゃない。
村田:僕、ストリートアートってすごく興味あるんですけど、これは一種のそれですよね。別に誰かに許可を得ているわけでもないし、ゲリラ的にやっているわけで、こうやってどんどん外に出していって、その場で買いたいという人がいればその場で売って、そんな何十万とかじゃ売れないと思うけど(笑)。絵を違う次元に持っていくためのひとつのステップとして面白いと思いますね。
幸田:絵自体は別に分かりやすく説明的になる必要もないし、いろんな物があっていいと思うけど、その絵と人の出会い方はもっと多様であっていいはずで、美術館に来る人だけを対象にするのではく、来たことが無い人にもどう見せたら絵に入ってきてくれるかということを考えなければ、これ以上芸術を本当にちゃんと見ることができる人は増えない気がします。
動産美術と不動産美術
村田:絵と人の出会い方で言えば、壁画の話もありますね。
幸田:そうですね、村田さんと以前にも動産美術、不動産美術の話をしていたら、不動産美術の仕事が来たんですよ。広島にあるドンキ・ホーテの新しくできた店舗の壁画です。
村田:壁画というのは不動産に描いているわけで、そもそも人間の最初の絵って洞窟壁画ですよね、ラスコーとかアルタミラの。絵というのはそもそも壁に描くのが最初だったと思うし、それからフレスコ画になって、油絵ができて、やっとタブローとして独立してできるようになった。最初のうちは不動産と一体化していたから、僕はそれを「不動産美術」と呼んでいるんだけど、だから不動産美術と動産化された美術とでは考え方も違うし、経済システムも違うし、画家の在り方も全く違ってきている。その違いが僕の中では面白いなと思っています。不動産美術の時代には作品を売るんじゃなくて、労働力を売っていたんですね。不動産を持っているお金持ちとか教会とかが画家を呼んできて、1ケ月間で描いてくれ、ギャラはこれだという形で描くわけです。
幸田:これは本当にそういう形でしたよ。これ自体を買い取るっていう感じじゃなかった。
村田:それは「契約生産」なんですよね。それがタブローになると「自由生産」になっちゃう。頼まれなくても画家は自由に描ける。自由に描いて、それを商品として売っていくから「商品生産」ともいえる。そうすると、絵の量が多くなって、だぶついてくる。それをさばくための画商が登場するという話になる。経済システムが全く変わってくるよね。幸田さんの場合、商品として売っていくというよりも、アートプロジェクトとかレジデンス、ギャラをもらってそこに行って何かをするということのほうが向いているんじゃないですか?
幸田:そうですね。私が絵描きとしてそこに行くこと自体の価値が生み出せるのであれば、それがいいなと思ってやってきました。
今回改めて久しぶりにこういうギャラリーのような空間で絵を見せるということをしてみて、この意味は何かということをずっと考えながらやっています。今の段階で、少なくとも私にとってはとても意味があることだと確信してきていて、まだうまく言えないんですが、ここは日常性とか時間とかを超えている変な空間で、やはり必要なんですよ、絶対的に。
いろんな人たちに展覧会の案内を出している時にも思ったんですが、非日常的なこの場所に人を呼び寄せるという行為自体がすごくいい。自分の親戚が来たと思ったら寿町のおじさんがきて、そういういろんな過去の人たちが同じ時間帯に同じ空間に集まってしまう。いろんな人といろんなところで会ってきた軌跡みたいなものをまたグッと引き寄せる感じなんですよ。
普段の日常では無い場所、その空間と時間を一からつくりだす。ギャラリーとか美術館でやる意味ってそういうところにある気がするんですよ。私の場合、ある地域で行われたこと、そこで出会った人と、もう一度出会い直し経験しなおしているというか。それが、絵を見る人、買ってくれる人にとっても意味があるといいなと思っています。
—2013年3月30 日、BankART Studio NYK(横浜)にて収録
Photo:Naoko Akiyama
ゲスト:村田真(美術ジャーナリスト)
1954年、東京生まれ。東京造形大学(絵画専攻)卒業。ぴあ編集部を経てフリーランスの美術ジャーナリスト。著書に『アートのみかた』(2010)、訳書に『絵との対話』(1995)、共著に『社会とアートのえんむすび』(2001)など多数。東京造形大学・慶応義塾大学非常勤講師、BankARTスクール校長を務める。2005年より絵画制作を再開。ZAIMギャラリー(2009)、ナディッフギャラリー(2011)で個展開催。