絵のまえで会いましょう

Chie KODA Exhibition : Focusing on everything

幸田千依×立石沙織

プレトーク「普通のまちで表現をすること、伝えること」

日和アートセンター」は、東日本大震災で被害の大きかった宮城県石巻市に、横浜市がNPOと共に、文化的な面からの復興支援を目的に立ち上げたプロジェクト。震災で被災してしまった物件を使ってアート的な活動をすることでこれからの復興にとってよい刺激や影響を生み出す交流の場、プラットホームとなることを目指して運営されている拠点です。幸田千依は、昨年(2012年)8月にここで行われたグループ展〈一枚の絵の力〉に参加し、「歩く絵のパレードin石巻」も行いました。今回の記事では、そのコーディネーターを務める立石沙織さんとの対話をお届けします。

幸田:今回立石さんとしゃべりたいと思ったのは、昨年〈一枚の絵の力〉というグループ展で日和アートセンターに行って、被災地がどうというよりはアートシーンとか芸術ってものがあまり身近にない、ましてや危機の状況であったという場で、ひとりでアートセンターを支えていくなかでどういうことがあって、何が変わってきたのか、ということが聞きたいと思ったからです。

というのも私が別府で初めてひとりで滞在制作をしたときに、まちなかの商店街にあるガラス張りのスペースだったこともあり、今までやってきた滞在制作と全然違ったっていうのがあったので… 外から丸見えの状態で描いていて、ふっと後ろを見ると人がいて。最初はそういった視線が気になっていました。ガラス越しだから路上で描いてるとかよりも逆に見やすいみたいで、振り返ると動物園みたいに観光客が写真を撮っているとかもあって。別に「公開制作してます」とか「どうぞご自由に」みたいなことは書いてないんだけど、毎日ずっとやっていると、決まった時間に通る人だったりとか、夜呑んでる人とかが自然と入ってくるようになっちゃって。それがはじめのうちは困惑もあったんです。

でもよく考えたら、商店街を歩いているっていう普段の行動の延長でアートってものをチラっと見て、ふーんと言って去るのではなくて、何やってんのと入ってくるというのは一歩、日常から非日常に踏み出してくることなんだなと途中から思いました。それってすごく嬉しいし貴重なことなんじゃないか。私はその人たちとちゃんと対峙しなきゃいけないんじゃないかと。それはやっぱりこちら側としてもちゃんと話したいという気持ちになりました。

当たり前だけどひとりの人間が絵を描くことをすごく大切に真剣に思ってやっている。その行為を見せることで、伝わっていくものがある。最初は受け入れ難い変なものがあったとしても、その人がそこで見たりしゃべったりした経験を、自宅とか自分の普段の日常に持ち帰って時間差で効いてくるみたいなところがあって。その場で終わりじゃなくて、その後考えて差し入れを贈ってきたりしてくれるというのも、私とか絵について判らないなりに理解してくれようとした人の意志が表現されている気がしました。人と人が付き合っていく時に、分かり合うには時間がかかるということ当たり前のことが分かってくる。

そういうことを一ヶ月やっていって、自分の存在、芸術ってものの存在が日常から非日常にすっと入っていくことができると思ったし、そういうある期間現れてそこで誰とでも接するひとりの人としてのアーティストっていうのが必要な気がして。その自覚が初めて芽生えてそれを引き受けたいと思ったのが別府だったんです。それ以降はその自覚が段々強くなっていって、滞在した場所で起きることから何かを吸収しようとする姿勢とか自然と身についていきました。そこで毎日ご飯食べて日常を過ごしていくなかで。でもそこでアーティストとしてものも作るっていうのはすごく非日常的行為だなあと。決してそれを分かりやすくしたり変える必要はなくて、分かるまで説明というかひたすら付き合っていくしかない。それができるようになってきた。

私と立石さんの場合はまた立場が違うから、そのようなことで似た部分と、違う部分があれば聞かせて欲しいのです。

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「分かりやすさ」をつくる

立石:そうですねえ。ほんと、うんうんって感じで同じようなことがあるし、わかります。それから東北の人の気質と九州の人の気質っていう違いはやっぱあるんだろうなと思うんですけど。あと、日和アートセンターもガラス張りなんですけど、昼間反射しやすくて中が見えにくいんですよね。(笑)中が暗くて、照明をつけても光が足りない。それもあってか、みんなが通ったときにどうしても気になっちゃうまでの存在にはなりにくいのかもしれないです。

幸田:ガラスの反射のせい?

立石:それもそうなんですけど、石巻という地域自体がいわゆる車社会で、商店街を歩く人もそんなに多くないから、気になってくれる人がいたとしても車で通る時に「あら?なんかお店ができていたっぽいな」って思う程度。「車で何度か通っていて気になってはいたけれど、ようやく来れました!」って人は多い。だからやっぱり遅い歩みで段々となんか気になる人が増えてきて、最近ようやく地元の人がちょっと来れるきっかけをつかみ出してきたかなっていうのが今の状態だと思っています。

幸田:外側から丸見えであるって結構重要なのかもね。

立石:そうですね。そう、夜は結構見えるんですよ。あそこらへんも他が暗いし、夜はすごく煌々と中の様子も丸見えで、遅くまでだらだら仕事していたり、みんなで宴会しているのが近所の人にバレていたりとか。(笑)

私は東北だから地方だからとか、そういう意味で作品を変えてほしくないなと思っています。石巻という土地に影響されて石巻ならではの作品を作って欲しいとは思いますけど、だからといって「分かりやすい作品」を作って欲しいという感じではないです。ただそこで分かりやすさみたいなものをつくるのが私の仕事かなと思っています。だから、例えば毎日私がいて、その人にとって知った顔の人がいるということで段々来やすくなるとか。今は地方紙の石巻かほくっていう新聞にエッセイを週に一回書いているんですけど、そういったみんなが触れあいやすい場で、どれだけ噛み砕いて自分やアーティストがやろうとしていることや思いを伝えられるか、あるいはいかにこの人に会って話をしてみたいって思ってもらえるかってことに挑戦しているんです。同時に、この非常事態な石巻で本当に私はアートがやりたいのかってことを毎日思ったりもします。

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日和アートセンターと「歩く絵のパレード in 石巻」参加者

 

「普通のまち」で今、何をするか

幸田:最初来たときとかどうしてたの? 誰も知り合いとかいなくて、そこにそれがあるってことも誰も知らない状況で、何を足がかりにしたの?

立石:正直なところをお話すると、最初のプロジェクト立ち上げから一緒に関われていたらもうちょっと違ったと思うんですけど、ある日突然、前任の人とバトンタッチしたものだから、なぜアートセンターを作ったかっていう目的そのものが、分かりそうでいてゴールが見えないみたいな感じだったんです。いろんな人に目標とか目的とか聞かれるわけなんですけど、それに答えられないんですよ。気づけば全て他人事として話してしまう。そこに当初ずっとジレンマのようなものがありました。でも生活していくなかでだんだん、アートセンター=自分というふうに自然となってきたから、最近は自分事として色々答えられるようになってきたと思います。

幸田:自分事というのは、そこで人と関わるとか実際に展示をやるっていう経験がそうさせたのかな?

立石:幸田さんが出会ったような出会いを毎日していて、その中で模索していくというような感じで、常に自分の立ち位置を考えたりしています。

幸田:それは大事だと私も思います。アーティストだから作品を作ってますとは言えてたけど、なぜそこで作るのか、なぜ見せるのかってことを考えざるを得ないんだよねやっぱり。ずっと東京とかの白いギャラリーで作品を発表し続けていればアーティストとしての前提というものもあるのかもしれないけど、その土壌がないところに入っていくと、アーティストとしてというより人として晒される反応があるというか、今はそれがいい経験だったと思っていて、もしひとりでアートとは何かとか、自分のやりたいこととかを考え続けていたりしたら時間がかかっただろうし、煮詰まっていたかなとも思う。知らない人のことを知るといった当たり前のことの積み重ねのなかで自分の自覚が芽生えたと思う。

立石:日和アートセンターは、やっぱりいろんな人が顔の分かる交流ができるプラットホームを作りたいっていうのが最初の目的だったんじゃないかなと思う。私ははじめ、どうしても石巻は被災地というイメージが強かったんですが、実際に住んでみて、石巻は横浜と同じように地続きになっている場所で、ひとつのまちなんだ、わたしが住むまちなんだという捉え方に変わっていきました。日和アートセンターみたいな文化拠点は、どんなまちにもひとつはあっていい場所だと思っているんです。お肉屋さんや魚屋さん、服屋さんみたいに。今はそれを石巻の日常にしたい。被災地だから日和アートセンターをやっているっていうんじゃなく、石巻だから日和アートセンターがあるっていうふうにしていきたいですね。

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幸田:本当に全く同じことを寿町で私も経験して、寿町が大変な町ということもあって、最初は何かできることはないか何かしてあげたいみたいな気持ちをもっていて、そういう感覚自体が滞在を重ねていくうちに消えていった。はじめの年に寿町では、フリーマーケットみたいにして寿に絵を放つ(絵をあげていく)ということを、ツールとしての絵を通したコミュニケーションや一瞬の出会いもイベントとしてアートだと思ってやったのだけど、自分がもっと深く、内側とか外側とかなくなってちゃんと知りあいたいと思ったからもう一度ひとりで行ってみた。人と人との付き合いを深めることで、そこにいる人間と人間同士として付き合うみたいなことを知ることで、そのまちが好きになっていった、まちがだんだんと普通のまちになっていったっていうのがあった。

立石:まだ石巻に越して半年も経たない頃、ひとりのアーティストの言葉に、「ハッ」って目が覚めた瞬間があったんです。そのとき私は、石巻には震災後いろんな人がいて面白いな、すごいなって思っていた頃で、でもそのアーティストが言ったのはこの状況に「本当にいいの?」って疑問を投げかけるような言葉だったから、とてもびっくりした。じっと目を凝らしてみると、そこには外から来た人たちばかりが盛り上がっていて、地元の人の気持ちがどうにも付いていけてないような状況が確かにあったんです。もともと来街者が多くない地域であったから、いろんなプロジェクト自体がひしめき合っている石巻に、地元の人は「違和感」ばかりが残っていたんじゃないかな。そのアーティストは外から距離をとって、客観的にまちの状況を見ていたんだと思うんですけど。あの言葉で一気に目が覚めた。それまでの自分の態度が、なんだか思い上がりだったなって、とても反省した。

幸田:その違和感ってさ、してあげる側、される側の関係があってされる側のほうが一方的に多い関係っていうのが変で、バランスが悪い。人と人との間にフィルターが多い中で突き詰めれば一対一で向き合えるんじゃないかということを私は信じていて、関係性の矢印、バランスが崩れたときにおかしくなっちゃうんじゃないかなと感じています。

立石:うん。だから「今」日和アートセンターで展示するもの、紹介するものっていうのにすごく慎重にはなります。結局は「今」自分がこれが欲しいと思ってお願いしたりするんですけど。だからお願いするのもギリギリになってしまったりとかして。

幸田:そう思うとすごいことやってるね。アーティストを駆使して表現をする感じになっちゃう?

立石:アーティストとは、一緒に刺激し合ってお互いに模索しあう、成長するといった関係性だと自分では感じているんですけど。展示内容に対してこれは悪い意味でフラッシュバックしてしまいそうだからちょっと考え直そう、とか意見したこともありました。そこでアーティストと真剣に議論しあったことも。

幸田:すごい特別な存在な気がする。日常的な存在、体験もしてるしずっと見てる、ビデオカメラみたいで、アーティストにそれを授けてくれる存在、よく考えたらあまりないポジションかもね。

立石:自分の立場って本当によく言われているところで、石巻の人にもなりきれない、だからといって外からの人ほど稀人でもない、間に立っている。そこが葛藤ですね。でもそのことを似たような活動をしていた横浜で感じていたかなって思ったら、感じていなかったなあと思って。石巻に来たこそから自分自身に生まれた問題提起とか、それこそ試練や喜びもあって、改めて石巻に来てよかったなと思いますね。でもアーティストさんがいなかったら続けられていなかったと思う。

幸田:インプットしすぎでパンパンになっちゃうね。

立石:キュレーションするというよりは、むしろ自分の人生相談とかに乗ってもらったりとかしちゃっているし…(笑) まちをみて、自分がどう思ったのかということをアーティストと話して気づくことがあったりもする。

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「表現」することとは

立石:さっきも少し触れたけど、なぜ今ここでやるのかっていう問いはずっと持っています。自分の人生の中では、地元の静岡でアートスペースか、何かアクションを起こしたいという目標を持っているので、石巻での生活は大事な修行にもなっているけれど…

幸田:その答えのかけらって見つかってる?

立石:それを幸田さんにも聞きたかったんですけど、何か悶々とした見えないものを伝えていくことがアートにできることかなと最近思いだしていて。万人は必要としていないかもしれない、けど今みんなが気にしないようにしているけど見過ごしちゃいけない何かをアーティストは気づいているんじゃないか、発信しているんじゃないかって、その可能性を信じていたいと思いますね。一般的にアートはアーティストの自己満足じゃないかって言われがちだけれど、私は本当にそうかな?って思っていて。その誤解を解いていきたいです。今の時代、自己満足だけでやっているアーティストさんって少ないんじゃないかなって感じているので。

幸田:そうじゃない瞬間の芸術を知っているからね。人と人とが一瞬通じ合うみたいな瞬間がある。その一瞬に心がわっとなる。それをやりたいねえ。分からないわって言われるけどちゃんとみようという意志があればわかるはずなんだけどなあ。

立石:分からないのは、その人と作品との時間の関係が短いんじゃないかと思うんですよね。

幸田:それもあるかもしれない。目は開いてるけど何か考える前にわかんないって逸らしてしまう状況がある。見えないところを見る意識さえあればみえる。ほんとはそんなに難しいことではない。けど、なんだか難しい。そこを開いていきたい。ものを見ようとする意識の回復、でしょうか。時間が必要なことかもしれないね。

立石:なんとなくまちの様子を見ていると、何かやってみようと行動する人と、別にやらなくてもいいかなって完結してしまう人のギャップが激しい気がしていて。自分のやるべきことをきちんとやっている人は必ずいるから、そういう人ともっと出会って紹介していきたい。それで、「私も何かやってみようかな」と表現する人からきっかけがもらえる場面があるといいですね。

幸田:表現が伝わる場面。

立石:そう。実際にあった話では、展示を見に来てくれた親子がいて、見終わった後お母さんが私に、「子どもにこういうのをずっと見せたくて、それで今日連れて来たんです」って言ってくれたときは「私がやれることってこういうことかもしれない」って、わああってなりましたね。

幸田:今いるところと状況と役割を自覚して、素直に反応していっていて良いな。立石さんが、まちにいて、日常的に吸収していくこと、それをアーティストが受け取って、一人の人同士、一緒に考える。そして表現に変えていく。大切なことをリレーしていく関係性だと思います。日和アートセンターの場の意味が、分かってきたし、それはあらゆるところでも同じように言えることな気がしてきた。

立石:今私の周りにいる同世代の人たちは、私たちの世代も受けるばかりじゃなくて、前の世代から受け取るべきものをきちんと受け継いで、自分たちの声を発信していきたいって感じている人が多い。私もそれを今、考えています。

 

—2013年2月13日、東京都台東区で収録

ゲスト:立石沙織(日和アートセンター アートプログラムコーディネーター)
1985年静岡県生まれ。静岡文化芸術大学文化政策学部芸術文化学科卒業。新宿眼科画廊、特定非営利活動法人黄金町エリアマネジメントセンターでの勤務を経て、2012年4月より現職。

【黄金町での展覧会情報】
日和アートセンター「石巻×横浜」交流プログラムとして、日和アートセンターで昨年末に開催された石巻出身・在住の彫刻家ちばふみ枝個展の巡回展が開催されています。幸田千依展と合わせてどうぞ!
[会期]2013年4月6,7日、13,14日、27,28日(土,日)
[時間]11:00〜18:00
[会場]1の1スタジオ(横浜市中区黄金町1-1)
http://koganecho.net/contents/event-exhibition/event-exhibition-586.html

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